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大阪高等裁判所 昭和56年(行ス)16号 決定

奈良市西御門町二七番地

抗告人(原告)

浜中達也

右代理人弁護士

吉田恒俊

相手方(被告)

奈良税務署長

奈良地方裁判所が同庁昭和五六年(行ク)第六号文書提出命令申立事件について昭和五六年七月三日にした決定に対し、抗告人から即時抗告の申立があったので、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

本件抗告の趣旨と理由は別紙記載のとおりである。

当裁判所も抗告人の本件文書提出命令の申立は却下すべきものと判断するのであって、その理由は原決定の説示と同一であるから、これを引用する。

そうすると原決定は相当であって、本件抗告は理由がないから棄却し、抗告費用は抗告人に負担させることとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 今富滋 判官 藤野岩雄 判官 坂詰幸次郎)

抗告の趣旨

原決定を取り消す。

相手方は別紙文書目録記載の文書を原裁判所に提出せよ。

との裁判を求める。

抗告の理由

一 原決定の趣旨

本件申立てを却下する。

二 原決定の理由

要約すれば、本件文書の秘匿部分は民訴法三一二条一号の「引用文書」に該当するところ、右秘匿部分は所得税青色申告決算書のうち申告者(訴外人)の住所・氏名欄等である。文書提出義務は、裁判所の審理に協力すべき訴訟上の義務としての一面を有し、証人義務及び証言義務と同一の性質を有するものであるから、証言拒否権に関する民訴法二八〇条ないし二八二条の規定は文書提出義務にも類推適用される。

被告(相手方)の主張する守秘義務(国家公務員法一〇〇条、所得税法二四三条)によって保護される利益は第一次的には申告者等に帰属する同人の個人的秘密・プライバシーであり本来税務行政担当者の独自の判断によっては処分し得ない利益である。かかる場合文書提出義務を免除されないと解すると、公務員は文書の提出によって自己の処分し得ない申告者の秘密をおかし、同時に自らも法律に定められた守秘義務を破るといった事態を生ずることとなり、これを回避しようとすれば文書提出義務に従わないことによって一定の訴訟上の不利益を蒙ることを甘受するかあるいは文書自体の利用を当初から断念するかのいずれかの途を選択すべきこととなり、当事者の有する立証権能にいわれのない制約が加えられることとなる。

また、本件申立は必要性がなく、なお、隠蔽部分のある文書を提出されたことによって生ずる採証法則上の不平等は裁判所において、右文書の証明力の問題として最終的には心証形成上考慮すれば足りる。

三 原決定の不当性

1 原決定が民訴法第三一二条文書提出義務について同法二八〇条ないし二八二条の各規定の類推適用があると認定したのは法令の解釈適用を誤ったものである。しかし、本件においては被告自身(「証人」ではない!)が積極的に事実立証をするために証拠調を請求した書証のうち一部秘匿部分の開示を民訴法三一二条に従い求めるものであって、同法二八一条一項一号、二七二条の証言義務の場合とは大いに性質を異にするものである。

真実発見の重要性を強調する民事訴訟手続において同法二七二条、二八一条の存在は極めて例外的なものであり、右法条の安易な類推適用は避けなければならず、同法三一二条の場合に準用するとの明文がない以上類推適用はできないものと解すべきである(同趣旨 東京地裁昭和四三年九月一四日、名古屋高裁昭和五二年二月三日=判時八五四号の各決定)。

2 さらに、当事者が特定の文書の存在を引用して自己の主張を裏づけとした以上、該文書の秘密保持の利益(守秘義務)を放棄したものとみなすべきである。被告は、本件文書の一部を秘匿しながらもそれを引用した以上、事後秘密保持の利益を放棄したものとみなされ、文書提出申立に対して守秘義務を理由として拒むことはできないと考えるべきである。民事訴訟手続においてもクリーンハンドの原則、禁反言法理適用は肯定されるべきであり、被告が書証の一部を自己に有利な証拠としてその余を秘匿したまま取調請求をし、原告の開示申立に対しては職務上の秘密を理由としてこれを拒み得るとすれば、得手勝手な立証を許すこととなり、採証上の合理性は失われ、真実発見は著しく困難となる。

また、被告において真に守秘義務が存在するならば、たとえ住所氏名を秘匿しても本件文書を書証として提出することはできない筈である。もし、本件文書の作成者が右秘匿された氏名の者であるならば、公開された文書の記載だけからでも文書の作成者が誰であるかを知り得る立場の者は多数存在する筈である。原告は、たまたま右知り得る立場にはないが、本件文書の一部が公開の法廷に提出したこと自体、すでに被告が守秘義務を破ったことになるのは明らかである。

原決定は、守秘義務によって保護される利益は、申告者のプライバシーであり憲法上の権利であって、本来税務行政担当者の独自の判断によって処分し得ないものであるという。それならば、住所・氏名を秘匿したからといってその余の部分を開示して証拠となす被告の所為は、すでにこの申告者のプライバシーを侵害しているもので、これ自体違法な証拠として証拠能力を否定すべきである。これを「証明力の問題」として証拠能力を肯定する原決定には矛盾がある。

3 原決定のいうように、税務行政上の守秘義務は、第一次的には納税者の経済的利益、プライバシー保護を図るものとしても、これを守るか否かは当該公務員の意思に委ねられており、被告は一部秘匿して本件文書を証拠として提出した以上、民事訴訟法上全文の提出義務を免れないのである。裁判所の提出命令に従うか否かは被告の選択しうるところであり、提出したことによって侵害される納税者の権利については、被告の責任において解決すべきものと考える。

けだし、民訴法三一二条一号で当事者がみずから引用した文書について提出義務を認めたのは、もっぱら訴訟において当事者は実質的に平等であらねばならないという基本的要請に基づくものであり、当事者が訴訟においてその所持する文書をみずから引用して自己の主張の根拠としながら、秘密の保持を要請されているからといってその提出を拒否するのは当該訴訟における相手方、本件についていえば抗告人の防禦権を侵害するばかりでなく、訴訟における信義誠実の原則に反し、文書を引用してなした相手方の主張を真実であるとの心証を一方的に形成せしめ適正な裁判を誤らしめる危険さえ包蔵しているのでこれを抗告人の批判にさらすことが採証法則上公正であると考えられるからである。原判決は隠蔽部分のある文書を提出されたことによる採証法則上の不平等は裁判所において証明力の問題として最終的には心証形成上考慮すれば足りるとするが、筋違いの議論といわざるを得ない。要は、民事訴訟上の原則にかかわる問題であって、自由心証の問題に矮少化すべきものではない。

4 原決定は、文書提出命令を肯定する場合、文書を有する公務員は、文書提出義務に従わないことによる不利益を甘受するか文書自体の利用を当初から断念するかいずれかの途を選択すべきこととなり、当事者の有する立証権能にいわれのない制約が加えられることとなると述べる。しかしながら、前述の如く、訴訟の相手方(本件でいえば抗告人)が防禦権を侵害し、訴訟における信義誠実の原則に反するような文書を提出する権利は何人にもないと考える。このような場合に当該公務員が当事者(証人ではない)となっている民事訴訟において、一定の立証権能に制約があったとしても決していわれなきものということはできない。被告は本件文書を証拠としたくとも所持していること自体において原告に優越した情報を有しているのであって、かかる事実を訴訟上いかに立証するかは、被告が訴訟技術上工夫すればよく、それは不可能ではないのであって、作成者を秘匿した「文書」といえないような文書を証拠として提出することによってなすべきではない。原告は、本件文書が果して真正のものか偽造のものかすら確認しえず、ましてその内容が真実かどうかにもかかわらず、いかにも真正に成立し内容も真実であるかの如き体裁をもって提出された本件文書の裁判所に与える心証形成の度合は原告においてはかり難く、原告の受ける訴訟法の不利益はきわめて重大である。

5 原決定は、原告の文書提出命令の申立につき必要性を否定するが、全く不当である。原決定は書証の成立は補助事実であってその立証は本件文書の提出・隠蔽部分の開披自体によってのみなしうる事項とは考えられない、と述べる。しかし、作成名義人が誰であるかはその文書の基本であって、その秘匿された部分はまさに文書の作成名義人が記載されているところである。隠蔽部分の開披は本件文書に証拠能力(少なくとも証拠価値)を与えるために不可欠である。また、原決定は、文書の信用性について原告の売上などの反証の提出によって争う余地があるというが、本件文書の信用性と原告の反証とは全く別個の問題であって、原告は、被告による本件文書によって一方的に形成せられた一方的な心証を、反証によってくずさなければならないという不利益を受けるのである。原告において確実な反証を提出する義務はないし、白色申告でかつ毎日の営業と生計に追われている原告の如き零細商人に対し、かような「確実な反証」を期待するのは酷である。

文書の表示

証乙第一六号証の二ないし四、同第一七号証の一、同第一八号証の一、同第二〇号証の一ないし四の各文書の原本。

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